![]() | 第21代会長(2011年度〜) 中川 武(苗42) 早稲田大学教授 |
「集まりさんじて」 −稲門建築会会長就任にあたって− 私は1963年学部入学で、65年秋の学費値上げ反対闘争から、70年安保闘争前後まで大学 の授業はあまりなかった。紛争のためばかりでなく、普段から学生は大学にあまり行かな かった。今から思えば、何も無いことの過酷と自由があった戦後から、高度経済成長社会 へと着々と進行していたのであったが、社会にはまだ隙間があり、一般学生にもまだエリ ート意識があったように思う。非常時に日常からは想像することができないような驚くべ き才能が突然出現することがあった。大学当局との団交やクラス討論の場において、当 時の世界情勢の経済学的分析から闘争方針を提起する者や、大学ロックアウトのためのバ リケードを机、イスを使って巧みに構築する者達である。そんな時早稲田の建築科はやは りすごいナと妙に感心したことが思い出される。 「本当の困難の中で、無償の愛が生まれる」という言葉がありますが,未曾有の災厄であ る<3.11>の東日本大震災・大津波・原発壊滅が仮になかったとしても、日本も建築も危 機に直面しつつあり,そのゆるやかな危機の進行の中で、新しい力の予兆が感じられるよ うにも思う。 明治開化以後の日本社会の近代化のために、東京帝国大学建築学科は基幹的な役割を果 たしたと思います。一方で、建築を通じて探求すべき精神の自由や市井の人々の暮ら しを支えるという理念は片隅に追いやられつつあったのです。その理想の火を絶やさぬ ためにコンドル−辰野金吾から志しを受け継いだのが早稲田建築学科創設者の佐藤功一 でした。東大から内藤多仲が、芸大から今和次郎が、そして危機の度に全国津々浦々か ら、馳せ参じてきた有志の面々によって早稲田建築の伝統は築かれてきました。現在の 稲門建築会の骨格は内藤多仲の号令によって生まれたものです。現在は大学そのものが 希少ではなく、実業界にまで及ぼした内藤の力を望むべくもありません。しかし、近年 多くの役員諸氏の無償の愛によって、稲門建築会は確実に早稲田建築のバックボーンを 支えてきました。私もまたこの無数の精神のリレーに参加して尽力したいと思います。 |