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菊竹建築の視察報告(島根、出雲)名作の解体は回避できるか

2014.08.25up

稲門建築会理事 山崎一彦(苗S44)

2014年5月16日、17日の2日間に亘り、稲門建築会特別見学会「菊竹清訓作品見学ツアー」を15名の参加者により実施しました。菊竹先生は早稲田建築の歴史上も特筆すべき巨星であることは皆さん異論がないところでしょう。先生は日本の建築界のみならず世界の建築界に「メタボリズム」や「代謝建築論」の建築論を発信して一世を風靡しましたが、一方でその作風は日本建築の歴史と伝統を現代建築に生かした独自なデザインを示していました。

私は1969年から1994年までの25年間菊竹清訓建築設計事務所に在籍し、デザイン担当副所長として先生を補佐してきました。今回の建築視察対象である島根県立博物館や図書館と出雲大社庁の舎やホテル東光園の建築は私が入所する以前に完成し発表された作品です。当時菊竹先生は早稲田大学の設計製図の講師であったことから、私は学部4年の夏に菊竹作品を見るため九州と山陰に旅行し、作品に感激して入所を決意しました。入所のその年に島根県立武道館の実施設計があり、私も図面を担当し断面図の一部を書いたことを思い出します。図面は変更に次ぐ変更を経て鉛筆の跡が黒光りする程推敲されました。断面図での特徴は、2階の体育館の屋根を支える巨大なトラス梁の架構デザインとキャットウォークに付属する5角錘の反射傘を持つ照明器具、そしてまるでジェットエンジンの如くの吊り下げられた空調機のデザインです。残念なことに現在は両方とも老朽化のため撤去されていました。建築平面形は隣接する図書館に軸を合わせて、45度のダイアゴナルに配置された壁柱構造であり、2階の床は無梁版の一種であるワッフルスラブが1階部分の天井デザインとして表現されています。

松江市中心部の3棟の菊竹作品は島根県の建築営繕課により既に耐震補強と改修が行われており、外観内装とも非常に良好に維持管理され、県民の建築遺産として大切に使われているようでした。

実は、私はこの視察旅行で約50年ぶりにこれらの菊竹作品を見ることになるため、建物の現状には大きな不安を抱いていました。菊竹作品に限らず、日本の戦後の建築は経済的、技術的にも不十分な時代に建設されたことからか、著名な建築でも次々と取り壊されています。中には建築学会賞を受賞した作品が数年後に解体される事例もあります。私が担当した上野不忍池のホテルKOJIMA(後にホテルソフィテルに改名)も、段状住居をモチーフとする30階建の高層ホテルで話題になりましたが、バブル経済の破綻を受け10数年でマンションに建て替えられています。このように日本では建築の価値が社会的経済的に正当に評価されない状況が続いていたので、島根県の維持管理の取り組みはとても貴重であり、ありがたいものでした。

一方、ホテル東光園など経年変化により問題が生じている建築がありました。視察団が宿泊したホテル東光園は、控え柱に支えられた大梁から客室階が吊り下げられた独創的な構造のホテルであり、外観のダイナミックな美しさは当時から非常に評価が高いものです。最上階のHPシェル屋根のレストランこそ営業されていませんが、4階部分の屋上庭園により客室階が宙に浮かぶ構造表現が魅力の建物は概ね健在で、細部のデザインは日本建築の伝統を彷彿させ、線の細やかな豊かな表情を見せています。コンクリートの肌は型枠目地によって,恰も木造の寺社建築の如くの迫力があり今でも見応えがあります。多くの人が菊竹作品の最高傑作と評するのも頷けます。しかしながら近年の法改正により耐震補強の期限が迫っており、オーナーの交代もあったため今のままでは取り壊しの可能性が高いそうです。免震や制震技術の適用など有効な補強方法の検討や、文化財指定等の現代建築保存の仕組みによる救済活動等が求められています。日本建築の傑作であるホテル東光園が今まさに危機に瀕していることを痛感しました。

更に、出雲大社庁の舎においても、コンクリートの劣化と雨漏りが見られ、長大スパンのポストテンションのコンクリート梁や、PCコンクリートの水切りルーバー等の補修が必要となっています。コンクリート打ち放しの表現は日本建築の特徴として引き継がれていますが、風雨に晒された厳しい環境は十分なメンテナンスが不可欠です。繊細で美しい建築表現は、耐久性を犠牲にしているのではとの反省がひとしおでした。

維持管理は一義的にはオーナーの責任ですが、建築学会や関係者、稲門建築会としてもこのような歴史的作品を後世に継承するために力を尽くせるのではないかと考えます。どのような支援が可能かについて、皆様のご意見を求めたいと思います。

視察の最後に、1999年竣工の島根県立美術館を訪問しました。この作品は菊竹先生の晩年の傑作であると思います。これまで培われた美術館建築の蓄積の上に、21世紀に向けた開放性や環境と調和する建築の新しい様式を提示された作品です。宍道湖畔の夕日の景観をテーマとし、県民が憩いの場として親しまれるだけでなく、世界の美術館として評価に値する名作となっています。当時70歳を超えたばかりの菊竹先生は、若い後輩スタッフを統括することで見事に設計されていることから、巨匠の建築家の力と才能は年を取っても大きな可能性を発揮できる証として感服しました。思えば、村野藤吾先生や、ブラジルでお目にかかったニーマイヤー氏が90歳を超えるまで現役だったのですから、菊竹先生も90歳や100歳まで新しい思想と建築を私たちに示し続けたに違いないと悔やまれます。日本の建築界をはじめ早稲田建築にとっても大きな支柱を失った悲しみを一層深くした旅となりました。