メールマガジン
年度発行
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2006年度 No.36  No.37  No.38  号外  No.39  No.40  No.41  No.42  号外  号外 No.43  No.44  No.45  No.46  No.47
2005年度 No.24  No.25  号外  No.26  No.27  No.28  No.29  No.30  No.31  号外  No.32  No.33  No.34 No.35 
2004年度 No.13 No.14  No.15  増刊号  No.16  No.17  No.18  No.19  No.20  号外 No.21  No.22  No.23
2003年度 No.6  No.7  No.8  No.9  No.10  No.11  No.12
2002年度 No.1  No.2  No.3  No.4  No.5



学生コラム/メールマガジンより  
2005年度発行のメルマガでは学生企画として【学生コラム】がありました。
このコラムはなかなか面白いと、メールを下さる先輩方もあり学生の励みになったものです。

この連載は以下の言葉から始まりました。
【初回というのにか なり挑戦的な内容になっておりますが、決して暑さで頭がやられてしまったわけではありま
せんので悪しからず。今の学生の頭の中がどんな風にな っているかを広い心で覗いてみてください。】

「カタコト共通語」 ■「柿の木」  ■「夢の国」  ■「職人の遊び心」  ■「床間の天井」
「不審者」 ■夏休み ■墓参り ■渋滞 ■「ブログのすすめ」 ■「四字熟語の勉強」
No発行年月日コラム
362006.04.07 今号は今春委員を卒業していく学生の挨拶を掲載。コラムはありません。
352006.03.02 「カタコト共通語」
 片言の日本語。先週私の研究室に10数名の韓国人学生、1人のフラ ンス人がワークショップのため訪れた。彼らのうち半数くらいが、片言 ではあるが、日本語を話していた。このワークショップでは、1週間で 敷地調査・分析から提案までをするもので、作業は5、6人のグループ で完全に別行動となる。ディスカッションでは様々なことを話すため、 最初は英語を話せる学生がとりあえず話し、通訳をしたりしていた。

 私のグループは、 日本語完璧の韓国人、英語完璧の韓国人の女の子、 英語完璧のフランス人、と日本語完璧の日本人3人、私は少し英語が話 せるといったところで、日本人→私→韓国人の女の子→韓国人などとひ とつの事をメンバー全員で共有するのにすごく時間がかかった。しかし 徐々にお互い通訳なしでコミュニケーションを取れるようになってきた。 耳が慣れてきたこともあったが、話しているのは完全に片言の日本語と 片言の英語。私たち日本人でさえも、韓国学生たちのように片言の日本 語をしゃべり、英語もパラパラと単語で出てくるくらいだ。みんな繰り 返す単語での説明。それでも最初よりもディスカッションのようになっ ている。言葉なんか話せなくてもなんとかなる、とは言うもののどうな ることかと思っていたが、徐々にグループ内で共通言語のようなものが できていく。

 韓国語・日本語・英語の混じり合った独特の言語。グループ内でしか、 はっきり理解できるものではないかもしれない。でもきちんとした言語 を話せなくても意思疎通をはかることができると改めて実感し、こうい う機会を経て、しっかり言語も習得していきたいと思ったワークショッ プであった。                    (編集委員 田中亜矢子)
342006.02.01 「柿の木」
 雪が降ると、ベランダの前にあった柿の木を思い出す。葉っぱが落ちて ただでさえ寒そうな柿の木に雪が積もり、余計に寒そうに見えたのをよく 覚えている。

 一人暮らしを始めた年の冬、なぜかベランダのほうで何の前触れもなく 「ドン」という音がする。昼も夜も関係なく3日に1回ぐらいのペースで 「ドン」という音がする。最初はこの「ドン」のタイミングに法則性を 見出そうとしたが、何の手がかりも得られず、一年目の冬は過ぎた。
 二年目の冬、その年も「ドン」はやってきた。一年間考えた結果、ベラ ンダの前の物置にネコが住み着いていたので、ネコが物置の屋根に乗った ときの音だろうと推測していた。しかし、実際に聞いてみると、それにし てはあまりに音が大きく、もしネコなら確実に着地失敗したような音だっ た。そして、「ドン」の後にかすかに聞こえる「ころころころ・・・」と いう音が気になった。

 そんなある日、ベランダで洗濯物を干そうと思って眺めていると、熟し て今にも落ちそうな柿の実をつつく鳥が何匹もいる。そして、ハッと気が ついた。「ドン」は柿の実が物置の屋根に落ちた音だったのだと。よく見 ると物置の屋根のといに、落ちた柿の実がたまっていた。

 それ以来、なぜかその柿の木に愛着がわいた。洗濯物を干すたびに見え るということもあって、季節によって表情を変える柿の木をよく観察した。 一番好きなのは5月頃の柿の木だった。うすい緑色の若葉がいっせいに成長 し、木がエネルギーに満ち溢れているからだ。それが夕日に照らされると、 光で葉が透きとおる。それが大変にきれいだった。夏は生い茂った葉に隠 れて大量のセミが鳴きさけび、秋はたくさんなった柿の実に鳥たちが群が った。そして冬は葉が落ちて、一気に寂しげな姿になった。柿の木は季節 の変化をつねに知らせてくれた。

 そんな柿の木も一年ほど前、隣りの家の改築のときにあっさりと切られ た。古い木造の家が壊され、柿の木があった方向に寄せて新築された。今 では何の面影もない。そこにあるのは、5月のエネルギーでもなく、冬の 寂しさでもなく、「ドン」という音でもなく、一年中変わらない無表情な 特殊セラミックの壁。窓はいつも閉まっている。  隣りの家は雪が降っても関係のない優れた住宅になったのかもしれない。 しかし、失ったものも忘れないでほしい。雪が降るたびに見えない柿の木 がそう語りかけてくるような気がする。                      (編集委員 田原潤一)
332006.01.11  ■「夢の国」
 昨年末、早稲田建築ニュースやメルマガの編集に参加している学生六 人(下に出ている人たち)で、ディズニーランドに行きました。そこは まさしく夢の国、みんなでおおいにはしゃいで楽しんできました。

 でも、ちょっと意地の悪い見方をすれば、あれはウォルト・ディズニ ーが描いた物語の世界で所詮は…、と言えないこともないです(ちなみ に、僕はディズニーランドは好きなんです)。きぐるみで踊るのって大 変そうとか、あの衣装じゃ寒そうとか、ついつい裏側が見えちゃったり します。
 毎日大勢の人がディズニーランドに訪れるのは、そこが夢の国で綺麗 で楽しいからだと思います。そういうことって、すごく人間的じゃない かのかなぁ。文化ってそういうものなのでは、と強引に結びつけてみた りして。
 文化というものはたぶんはっきりとは目に見えないもので、人の心の 中にあるものなんだろうなぁとぼんやり考えます。例えば正月におせち 料理を食べて、お屠蘇を飲んで、かるたで遊んで、といった個々のもの も日本の文化です。けれども、そういう正月を過ごした人たちの中に、 もやもやっととどまっているものが文化でもあると思います。
 ディズニーランドには大勢の人が集まって、皆で一斉に同じ夢を見る ことができる。一同に会するというところがミソです。そういう場所が あるということが、文化とくっつけて考えさせるのだと思います。

 正月料理をたらふく食べて、お酒を飲んでコタツでまどろむ、まさに 夢の国、夢心地です。そんなボーっとした頭で、文化のことを思ってみ ました。                      (編集委員 山岸吉弘)
322005.12.01  ■「職人の遊び心」
 先日、稲門建築会で映画の上映会が企画され、早稲田大学大久保キャ ンパスまで見に行きました。映画のタイトルは「平成職人の挑戦」。飛 騨高山に伝わる職人技の伝承に情熱を燃やす社長さんと、支援を受けて 祭りのときに引く山車「祭屋台」の新造に腕を振るう職人たちの、13年 間に渡る奮闘を記録し続けたドキュメンタリー映画です。とても面白い 映画でした。社長さんを始め映画に登場する職人たちが、皆「いい顔」 をしているなぁというのが一番の感想です。ドキュメンタリーというも のの良さを存分に味わうことができました。

 映画の中に一職人として登場する新名隆太郎さんは、88歳にして現役 の鉄金具職人です。非常に魅力的なおじいちゃんといった感じ。職人の 仕事を説明する語り口と、ちょっと笑みを含んだ表情は特に印象的です。 仕事を分かってくれる人は百人に一人、その一人に対して仕事をしたい と仕事への気概を語ります。ですが、決して生真面目の一点張りという ことではなく、職人の「遊び心」も必要なのだよとのこと。職人の「遊 び心」とは、なんと魅力的な言葉なのだろうと大げさでなく感動しまし た。勿論職人のプロとしての技術がものを言う世界ですが、「遊び心」 が仕事の質を左右することもまた多分にあるのです。人となりが仕事に 反映するということでしょうか。そんなことは誰もがそう思っているの でしょうが、新名さんの口から出ると不思議な説得力がありました。

 映画の上映が終わった後には、プロデューサーの益田さんとディレク ターの乾さんのお話を聞くことができました。映画制作の裏話をいろい ろと語って下さいます。そのうちに乾さんの体験から得たインタビュー アーとしての秘訣を披露して下さるなど、いろんな方面に脱線していき ます。最後に、職人さんたちに出会うことができたのが最大の収穫だっ た、というようなことをおっしゃっていました。出会いが大切と言う乾 さんの笑顔もまた印象的でした。
 非常に充実したひと時でした。得るものが多く、元気にさせてくれる 映画上映会でした。今度は映画の中でなく、実際に職人さんたちと会っ てみたいと思いました。                      (編集委員 山岸吉弘)
312005.11.02 「床間の天井」
 先日、朝日新聞主催の「いま、コラムの時代。みんなで書こう考えよ う」というシンポジウムに行ってきた。天声人語や夕刊の素粒子のコラ ムニスト、CM批評家の天野祐吉さんなどをパネリストに招いたシンポジ ウムだった。「いま、コラムの時代。」を迎えているのは、このコラム を書かなければならなくなった私ぐらいのものだろうと思って行ったが、 会場は予想外に満員だった。

 コラムはもともと英字新聞の左端に縦に細長く書かれたことからコラ ム(柱)と呼ばれるようになったそうだ。しかし、日本のコラムはほと んどが横長なので、コラム(柱)というよりはスラブ(床板)とでも呼 んだ方が適切なのではないだろうかとすぐに思った。建築学専攻学生と してはまずまずの反応であったと思う。

 では、天声人語などの毎日のコラム。あれは一体、だれがどのように 書いているのか。多くの人が不思議に思っているのではないだろうか。 政治、文学、歴史などあらゆるジャンルにあれほど詳しい1人の人間が いるのか。3人ぐらいがローテーションで書いている、毎日コンペ形式 で5案の中から1つ選ばれている、などいろいろ勝手に想像していた。 しかし、実際は1人で書いているとのこと。出張の時などは代理をお願 いするらしいが、基本的には毎日1人で書くそうだ。月1回のこの学生 コラムでさえローテーションで回そうとしている我々学生広報委員とは 大違いだった。

 シンポジウムで一番面白かったのは「床間の天井」という表現。聞い た瞬間、このメルマガの現状を説明するためにある言葉なのではないか と思ってしまったが、床間の天井、「あることは知っているがわざわざ 誰も見ない」ということ。思わず、確かにと言ってしまう。建築に長く 関わっておきながら、思いつきもしなかったものの見方だ。これからは 表現を見つけるというアプローチで建築に触れてみよう。新たな視点を 得た気がしたシンポジウムだった。                      (編集委員 田原潤一)
302005.10.05 「不審者」
 先日、企業の入社試験で大阪池田小学校児童殺害事件に絡めて「学校を開いて守る べきか、閉じて守るべきか」を問う問題が出題された。現場で働く人はどう考えてい るのか、気になったので小学校教師の私の母親に聞いてみた。ちなみに最近の悩み事 は「遠足の担当になったとたんに予備日の予備日まで雨に見舞われ、雨女の名が定着 してしまったこと」らしい。思えば小さい頃から、母親の仕事の話は楽しんで聞いて いる。

 母親の学校でも先日、不審者避難訓練を行ったばかりとのことだった。しかし、 「あんな訓練役に立つわけがない」とのこと。どのような避難訓練かというと、不審 者が学校に入ってきたら、職員室に報告し、放送がかかり、子供たちはドアや窓に鍵 を掛け、机を入り口に並べてバリケードを作り、教室の中央に集まって待機するとい うものだ。確かに誰が聞いても「役に立たない」と思う。さらに、「もし私が不審者 を見つけたら、真っ先に教室の子を守りにいくから、職員室に報告に行くことはでき ない」とのこと。そのとおりだ。もし職員室に報告に行くにしても、体脂肪率30%を 越す母親の走力にクラスの運命を託すのはいかがなものかと思うが・・・。さらに、 「最近、不審者の情報であふれている。子供たちには人を見たら泥棒と思え、知らな い人は無視するようにと指導せざるを得ない」という。また、「警備の予算も出ない ため、教師が休憩時間などを工面して門番をする方向で進んでいる」とのことだった。 最後に「最近、本当に余裕がなくなってきている。休憩もなく余裕もない教師がいい 教育をできるとは思えない。」と付け加えたのが印象的だった。 (編集委員 田原潤一)
292005.09.02 学生コラム特集(学生内でコンペ選抜作品)

夏休み
 夏休みは学会主催のワークショップに学生委員として参加しました。 もう学ぶ事はたくさんで。そこで遠藤勝勧先生と出会いすっかり先生の 魅力に引き込まれてしまいました。さらに嬉しいことが!このメルマガ を印刷して時間があるときに読んでくださってると!早稲田万歳です。 実家の神戸では神戸弁に癒され交通費に泣かされる日々を過ごしていま した。地下鉄初乗り220円です。バスは駅まで300円です。やはり 東京ってすごい。全体としては今年の夏休みは大学4年生の夏休みらし く平和に過ごしていました。のんびり作品を作ったり、ぐうたらしてい て夏バテになるという典型的な夏バテを経験したり、気ままに一人で散 歩をしたり。

来年はそうもいかないでしょうが来年の夏も楽しみです。
四季のことを考えるといつも想うのですが、季節が巡ることはなんてす ばらしいんだろう。時間が流れていることの証明をこんな手段で表すな んて、日本という国の気候は素敵です。
秋を待つのが楽しみです。         (佐藤美央 学4)


墓参り
 今年のお盆も広島の実家に帰り墓参りに行った。東京に出てきて6年 になるが、お盆は必ず墓参りに帰る。父方の田舎はいわゆる典型的な農 村で、墓は山の中にある。山の中腹に他の家の墓も合わせて30基ほど 固まってあり、そのうち10基が我々に関係のある墓だ。墓にたどり着 くまでがまず一苦労で、たどり着いたら着いたでここぞとばかりに蚊が 寄ってくる。ここにいる蚊はこの日のために一年間待っていたのではな いかといつも思う。そしてそのことを口にすると、決まって兄が蚊は人 間の血だけで生きているわけではないと得意気に答える。ここ数年同じ ような会話を繰り返している。

 そんな墓にも、今年大きな変化があった。それは、隣の墓に誰も参ら なくなったことだ。隣の家も10基程度であるが、その一角には落ち葉 が積もり、雨水が流れた跡が残り、地震か何かで少し傾いた墓もそのま まになっている。このままあと数年すれば完全に山に返るという感じだ。 そうなればそこに墓があったことを知る人もいなくなり、その墓に眠る 祖先のことを考えることもなくなり、完全に記憶からなくなることにな る。墓の管理が出来ないのには諸事情あると思うが、やはり残念なこと だ。

 農村から人がいなくなるにつれて、このような墓が増えてくると思う。 定年後のIターンで農村に多少の光が当たっているものの、墓参りをす る人が増えるわけではない。残念ではあるが、時間や場所の制約上、仕 方のないことでもある。せめて自分ぐらいは毎年墓参りを続けようと思 った今年の墓参りであった。          (田原潤一 修2)


渋滞
 私には田舎というものがない。祖父母も東京で顔と名前も一致しない ような親戚が長野にいる程度である。そんな私が今年のお盆には新潟の 田舎に行ってきた。当然私には田舎がないので自分の田舎ではなく卒論 の調査で行ったのだ。お盆にわざわざ行ったのは社会人のOB達と調査 に行くため、休みの取りやすい時期にしたのだ。

 そんなわけで14日にいざ出発。お盆に東京外に出るのは何年ぶりか。 朝8時に高田馬場出発。関越自動車道にのるとなんと料金所に入る前か ら視界には車しかない。料金所ははるか遠くで全く見えない。これが帰 省ラッシュか!とここですでに実感。電光掲示板にも大渋滞の表示。車 に乗っているメンバー全員でため息をつく。いくら走っても走っても新 潟までの表示されている距離は10km減る程度。せっかくの晴天でドラ イブ日和だと思っていたのにすっかり排気ガスに包まれる。
渋滞なんて滅多に味わうことのない生活を送っている私たちは渋滞の原 因が不思議に思えて仕方ない。

 というわけでちょっと原因を調べてみた。するとホントにホントにさ さいなことだった。トンネルの入り口で、気づかない程度の上り坂で一 台、一台が緩めるスピードによって渋滞ができるのだという。こんなさ さいな原因で私たちは練馬から群馬の前橋まで渋滞に悩まされた。まさ にちりも積もれば山といった感じである。でもこの渋滞を抜けると一気 に車は走り出す。新潟に着くと地元のおばちゃんおじちゃん達にお盆時 期で自分の家族も帰省してきているのに暖かく迎え入れられる。初めて 田舎に帰るという体験をして渋滞という難関はあったものの日本の夏の 正統な過ごし方をした2005年のお盆であった。(田中亜矢子 学4)  
282005.07.29 「ブログのすすめ」
身近な人の多くが「ブログ」を運営していることに、最近気が付いた。あなた も!?というくらい本当に多い。ブログとは「Weblog」より派生した言葉であ るらしい。特定の専門性を持つ情報が毎日更新されるウェブサイトの総称。
サイトの運営が個人である場合は、更新される情報は個人的なものになるのだ ろう。日々の個人的な情報の記述・・・それは、かの有名な紀貫之や紫式部も 書いていた、由緒正しい「日記」である。

ネット上に日記を書いて、それを見たり見られたりする。日記ってひっそりと 書くものと思っていたけど、今や世界中の人に大公開する時代になったんだなぁ。 そういえば、夏休みの「絵日記」はクラスのみんなに見てもらっていたし。 女子中学生は「交換日記」だってするし(今もやっている中学生はいるのでしょ うか?)。素養はあったんですな。

ヒトの日記を見るのは意外と楽しい。ヒトの生活が気になる、というワイド ショー的心理をよく刺激する。でも、テレビと違うところはコミュニケー ションのツールになる、という点だ。インターネットやケイタイが登場して、 コミュニケーションの幅は広がり、容易になった。その弊害もあるのだろうけ ど、清く正しく使っている分には素晴らしい道具である、と思う。 みなさまもブログを始めてみてはいかがですか? (山岸吉弘)
272005.07.01 「四字熟語の勉強」
最近は就職試験のため一般教養の勉強をしている。理系の私は例にもれず国語 に弱い。弱点克服のため集中的に四字熟語を勉強していたときのこと、身体の 部位を用いた四字熟語「厚顔無恥」が出てきた。当然のように辞書を調べた。

辞書には「こうがん【厚顔】・あつかましいようす」と書いてある。すると右 隣の言葉がどうしても目に入る。「こうがん【睾丸】」だ。類似語の欄にはた った一つひらがなで「《類》きんたま」と書いてある。辞書にまじめに載って いるとなんだか面白い。逆に左隣を見てみると「ごうかん【強姦】」とある。 ひどいページだなと思ってもう少し右を見てみると「こうかん【好感】」があ った。「このページに好感が持てないよ」などと独り言を言いながら今度はペ ージの右上(先頭)を見てみた。「こうかく【降格】」だった。

面白くなって最初から順に追ってみた。「こうかく【降格】」→「こうがく【工学】」→ 「こうがく【光学】」→「こうがく【高額】」→「ごうかく【合格】」→「こ うかつ【狡猾】」→「ごうかばん【豪華版】」→「こうかん【好感】」となっ ている。どことなくドラマがある。「降格して落ちぶれたどこかの金持ちのお 坊ちゃんが工学部に高額で狡猾に入学して豪華に暮らしているが好感が持てな い」などと勝手に想像していると、「こうがん【睾丸】」→「こうがん【厚 顔】」→「ごうかん【強姦】」→「ごうがん【傲岸】」となる。魔の「厚顔ゾ ーン」だ。やはりダメページなのかと思うと、「こうき【好期】」→「こうき 【好機】」→「こうき【光輝】」→「こうき【香気】」とイメージが一変。ペ ージの最後は「こうき【興起】」で終わる。降格に始まり興起で終わるこのペ ージ。途中、上品だったり下品だったり。もしかしたら1000ページ近くある辞 書の中で一番おもしろいページに出会ったのかもしれないと思った。まさに 「千載一遇」の出会いだったのかもしれない。 (田原潤一)